‘園だより’

2012年2月

2012-01-25

2012年2月号
名寄幼稚園 園長 中川貞惠
1月21日に行われたピヤシリスキー場での雪中運動会は、大自然の中でご家庭の皆様と楽しいひと時を過ごす事ができました。
当日の気温は-23℃以下となり今年一番の冷え込みでしたが、午後からは柔らかい日差しにも恵まれ汗をかいて遊ぶ場面もありました。親子そり滑り・座布団滑りでは、スピード感やスリル感を体験し、リレーの時はそりを引く父母の速さに落ちないように、そりの取手を持っている子どもたちの顔は真剣そのものでした。親子とチームがひとつになって、すごく楽しいひとときを過ごしました。ジュース拾いで雪山を掛けてくる子どもたちからは、笑顔がはじけ、冬の遊びを満喫しました。
子どもたちは幼稚園のグラウンドの雪坂でも、そり滑りを仲間と共に楽しんでいます。
今回は雪坂造りの縁の下の力持ち達を紹介をさせていただきます。雪が降り始めると、元気に遊ぶ子どもたちを想像し「今年は、どんな雪坂が造れるかな~」と、雪坂の原型造りをして下さった鈴木重機の皆さん。「安全に滑れるように」とスロープ造りに励んでくださる道北ワークセンターの皆さん。ご家庭の皆さまと共に多くの方々に支えられています事を感謝しつつ3期も子どもたちと元気に歩みたいと思います。

「新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え。」
詩96編1節
                      名寄幼稚園宗教主任 ロバート・ウイットマー 
 聖書の中で歌を歌うことと喜びながら身体を動かすことは良いこととされています。そうするのは人間だけではなく、被造物(神様に創られたもの)のすべてです。旧約聖書にこんな言葉があります「あなたがたは喜びをもって出てきて、安らかに導かれて行く。山と丘とはあなたの前に声を放って喜び歌い、野にある木はみな手を打つ。」(イザヤ55:12)
 とても詩的で、素敵な表現ではないでしょうか。確かに、身体を動かし、歌ったり踊ったりすることは脳に刺激を与え、健康にもいいです。そして、音楽は「世界の共通言語」とも言われています。音楽を通して世界の多くの人々とつながることが出来ます。
 今年度の名寄幼稚園の礼拝において新しい歌をいっぱい歌いました。はじめて聞く歌でも子どもたちが大声で一生懸命歌ってくれ、身体を動かす歌を歌う時も積極的に動いてくれたことは本当に嬉しかったです。主に向かって歌う時、上手下手関係なく生きる力になると思います。
卒園式が近づいてきていますが、卒園する子どもたちが一緒に歌った歌を少しでも心に受けとめて、その歌が心の支え、また励ましとなることを心から願っています。誰も私たちから音楽を奪い取ることはできません。嬉しい時も、悲しい時も主に向かって歌を歌い続け、神に愛されていることを覚えつつ大きくなることをお祈りしています。

2011年11月

2011-10-26

2011年11月号
名寄幼稚園 園長 中川 貞惠
園庭にそびえているイチョウの葉が、黄色くなり秋の深まりを感じさせています。
10月にお祝いした収穫感謝祭では、神様の恵みと見守りにたくさんの喜びを見つける事ができました。
感謝祭のメイン料理は豚汁、材料の買い出しは年中児が担当し園バスで出かけ、店内では公共マナーを守る事を心がけながら、グループ毎に色々な材料を探している真剣な顔からは、成長したな~と感じる事ができうれしくなりました。
感謝祭の前日には、小さな手にピーラーを持って人参や大根の皮をむき、「お願いしま~す」「切ってね」と次の工程の学年まで運びゆだねていく年少児の姿からは、取り組みに参加している喜びが伝わり私の心も温かくなりました。
年長児は野菜の下準備、当日の調理でも(カボチャケーキつくり等)今までの経験を生かし、余裕をもって取り組んでいる様子を見ていますと、子どもたちの力のすばらしさ、仲間と共に育ち合う実感を見つけることが出来ました。
そして、年少児がじゃがいもを届けた夕方に「留守していて悪かったね~」「いつもありがとう」と、ゆったりとしたご近所さんからの電話にも、収穫感謝祭の目的{神様に感謝し、共に喜びを分かち合う}事ができましたことを嬉しく思っていました。

光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
ヨハネによる福音書 1:5

名寄幼稚園宗教主任 ロバート・ウイットマー
名寄の山にも雪が降り、寒くなりました。秋が終わり、確実に冬に向かっています。
そうすると「陽は短くなりましたね」という言葉をよく耳にします。
陽が短くなると夕陽と一緒に人の気持ちが沈むことがあります。 私たちは長い「冬のトンネル」に入り、「光の春」を待ち望みます。
「光の春」と呼ばれている現象は毎年2月に訪れます。暗くて、寒い日々がまだまだ続く中、その暗闇に輝いている光りを微かに感じる時です。
日本の南から道北の地に移った人たちはこの光を浴び、元気になるとよく言います。長い冬の向こうに春があると感じられるからです。
気候と別の暗闇があります。それは私たちが経験する様々な困難、悩み、孤独、苦しみなどではないでしょうか。 先が見えない、どうしたらいいかわからない、希望をもてない人々がたくさんいます。暗闇の中にいます。私たち自身もそう思う時があるのかもしれません。
聖書はその「暗闇の中で光が輝いている」と言っています。その光は私たちにとって希望であり、ぬくもりであり、生きる力であり、何があっても神様は私たちを見放さないという確信であります。その光は十字架の死という大きな苦しみを受けながら、死からよみがえって神の愛を示したイエスキリストです。私たちに注がれているその愛はどの暗闇よりも強いと聖書が伝えています。

2011.10月

2011-09-21

2011年10月号               名寄幼稚園 園長 中川貞惠
今年も幼稚園の菜園では、学年ごとに色々な野菜を育て収穫する事ができました。
春、年少児が緊張しながら小さな手でそ~っと植えたトマト・なすび・きゅうり・ピーマンは成長していく過程を身近に見る事ができ、「きゅうりは、きらい」と言っていた子どもがポリポリ食べている姿に嬉しくなりました。年中児は、トウモロコシを移植ポットで苗から育てるという難しいところから始めました。角のような芽が出てきた時は感動し、定植してからは茎や葉がぐんぐん変化して伸びていく様子を見守り、実が大きくなることを楽しみにカラス対策もして待ちました。立派に実ったトウモロコシを茎からギュッギュッともぎ取っている子ども達からは、喜びと達成感が伝わってきました。年長児は自分たちの分だけでなく、めだか教室の子どもたちもみんなで収穫を喜び合うことができるようにとジャガイモを植えました。「大きいジャガイモになりますように」との願いを込めて草取りもしました。「おおきいのみ~つけた」「ここにもあったよ」と土の中からごろごろと出てくるじゃがいもを見つけ歓声と笑顔であふれました。
自然の恵みに感謝し、食育につながる豊かな体験を自家菜園で出来るのを喜び合いました。

「神よ、すべての民があなたに感謝をささげますように。すべての民がこぞってあなたに感謝をささげますように。大地は作物を実らせました。」 詩67編 6,7
                 名寄幼稚園宗教主任 ロバート・ウイットマー

 今年も収穫感謝祭の時期が近づいて来ました。種がまかれ、芽生え、育ち、実る、これはわたしたちが毎年経験する「命の軌跡」です。大地が生み出して下さったこの実りはわたしたちの命の源であると思う時、感謝をせずにいられないのではないでしょうか。
 教会で歌っている賛美歌にこんな歌詞があります:
        大いなり、主の恵み
        この土に  今立ちて、
               米粒に宿る愛 手に受けて、主をたたえん。(さんびか21:388)
 わたしたちの命を支えてくれる食べ物は神の恵みによって与えられ、米粒の一つ一つに神の愛が宿っているということです。神に愛が詰まっている米粒をゆっくり噛み締めながら収穫の喜びを分かち合いましょう。
 神の恵みに感謝しつつ、今この世界に毎日空腹のまま眠りにつく8億5千万人以上(そのほとんどが子どもと女性)の人々がいること、また今年の日本で、地震、津波、原発、台風の被害によって収穫の喜びを得られない人々が大勢いることを覚えたいです。
世界のすべての人々に安全で、安心して消費できる、神の愛が宿っている十分な食糧を得ることができるように祈り続けます。

2011.9月号

2011-08-23

「…信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」 コリントの信徒への手紙 一 13:13                                  名寄幼稚園宗教主任 ロバート・ウイットマー

 この聖書の言葉は、ある教会に送られた長い手紙の一部です。手紙を書いた人はその教会の人たちに人間にとって最も大切なものを伝えようとしています。しかし、信仰と希望と愛と言われても、神様ご自身と同じで目に見えて、手でつかめるものではないのです。
7月末に、原発の事故で不安の毎日を送っている福島県会津地方に住む水田農家の友だちからから手紙がきました。こう書いています「何よりも、信じることが許されている、そのことに感謝して歩んでいます。感謝!北の大地の仲間にもよろしくお伝えください。」。この友だちはお米を作ってもそれを出荷できるかどうかわからない状況で、出荷出来ても日本の消費者に買ってもらえるかどうかも分からないのです。それでも「感謝」するということはどういうことでしょうか。もがいている日々の中、友だちは神様に見捨てられていないという確信を持っていると思います。神様が共にいるという信仰は未来への希望につながり、神様の愛を信じる力にもなります。神様の愛を信じる時、その愛は本物だという確信を持った時、「感謝」(ありがとう)という言葉はとても自然に私たちの心の奥深い所から湧きあがり、私たちの口から出るのではないでしょうか。
多くのものを失った友だちが神様の愛を信じ続け、その愛が福島県で新しい未来を拓くように働くことを祈らずにおれません。

2011.7・8月号

2011-07-22

「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」
                           ヨハネによる福音書1:18
                         名寄幼稚園宗教主任 ロバート・ウイットマー
私たちの目に見えないものはたくさんあります。電気も見えないし、空気も見えません。考えてみたら感謝、信頼、愛とか、そう言ったものも目に見えません。その結果を見て、あるいはその具体的な形を見て初めて分かるものがたくさんあります。誰も目で見たことのない神も同じです。しかし、スイッチを入れれば電気が分かるように、母の日に花をもらって感謝が分かるように、人間の歴史に生まれ、私たちと共にこの世を生きたイエス・キリスト(独り子である神)を見れば神と神の愛を知ることができます。聖書はそのことを私たちに伝えようとしていると思います。イエスは病気に癒しをもたらし、無力さを感じている人々に自尊心と可能性を与え、苦しんでいる人々の苦しみを和らげることによって神の働きを示し、またその死と復活によって神の愛がすべての力より強いことを示されました。イエスが自分の仲間に語った最後の言葉は「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)という言葉でした。ですからイエスは今も私たちのために神を示して下さいます。もし、私たちが聖書の神をもっと知りたいと思ったらイエスを見ればいいのです。イエスに近づけばいいのです。イエスに学べばいいのです。イエスと共に歩けばいいのです。そのためにイエスはこの世界に生まれたのです。そうすれば私たちは目に見えない神をもっと身近に感じられるようになります。

2011.6月号

2011-07-22

「幻がなければ民は堕落する」 箴言29:18
                          名寄幼稚園宗教主任 ロバート・ウイットマー
この言葉は旧約聖書の箴言に記されています。箴言は聖書の中で「知恵の文学」と言われていて、数多くのことわざが記録されているところです。私たちに生きる知恵を教えてくれる言葉だと思います。「幻」は今まだ見えないかもしれないけれど私たちが向かっている、あるいは目指しているものを意味します。「目標」また「目的」ともとらえていいと思いますが、これがないと私たちの行動は堕落すると聖書は言っています。「堕落」するということは本来の姿と価値を失うことで、私たちの生活そのものが崩れることだと思います。
今月名寄幼稚園の運動会があります。子どもたちは楽しく、また一生懸命参加すると思います。一つひとつの競技の「目標」をしっかりと見ているからこそそれに向かって参加することができ、それを見失ったらどうしたらいいかわからなくなってしまうのではないでしょうか。
同じように私たち人間にとって生きる目標(幻)が必要だと思います。聖書はイエス・キリストと「神の国」に向かって歩こうとよびかけてくれます。そして、「神の国」を幻のように描いています。たとえば「剣を打ち直して鋤とし、やりを打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げずもはや戦うことを学ばない。人はそれぞれ自分のぶどうの木の下、いちじくの木の下に座り、脅かすものはなにもない」(ミカ書4:3,4)。真の平和が尊重され、脅かすものはなにもないそういう世界に向かって生きたいですね

2011年5月号

2011-06-19

「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」 ヨハネによる福音書16:33  名寄幼稚園宗教主任 ロバート・ウイットマー

イエスが十字架につけられ、殺される直前に自分の仲間(弟子たち)に語った言葉です。その時、弟子たちは何が起ころうとしているかあまりわかっていなかったようですが、後になってこの言葉を思い出して力を得たことは間違いないと思います。
 生きると言うことは苦難が伴うことです。もちろん、楽しいこと、喜ばしいこと、感謝できることもたくさんあります。だけどこの「世」(世界、生活、人生)で、私たちは多くの苦難や苦労を経験します。イエスがこの世を去った後、残された弟子たちは実に激しい迫害を受けました。
わたしたちは迫害を受けないのかもしれませんが、私たちが経験する様々な苦難に対してイエスは「勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」と言ってくれます。「世に勝っている」とはどういう意味でしょうか。それはイエスの十字架によって示された神の愛は、この世のすべての苦難と苦労より強いという意味だと思います。
 今年のイースター(イエスのよみがえりを記念する日)は4月24日でした。この日にイエスキリストはよみがえることによって十字架という大きな苦難に勝って神の愛の勝利を宣言しました。
それでも、苦難は苦難です。苦しいです。けれど、私たちが求めればその苦難の中に神の愛が必ず働いていて私たちに希望を、そしてその苦難を生き抜く力を与えてくれます。

2011年4月号

2011-06-19

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」
マタイによる福音書11章28節   名寄幼稚園宗教主任 ロバート・ウイットマー

大震災、津波、原発による巨大な災害が日本を訪れてからもはや一か月が過ぎようとしています。その死者、行方不明者両方を合わせたら現時点で28,000人以上となり、おそらくこれからもっと増えるでしょう。
地震が起きてから「がんばって」とか「がんばれ」という言葉をよく耳にしました。被災者も「がんばります」と言ったり、テレビでインタビューされた人々も「がんばって」と言ったり、支援広告にも「みんなでがんばれば大丈夫です」のような文言が使われていました。私がテレビを見ている限り、一人だけインタビューの中で「私は被災者に『頑張って』と言いません。『精一杯甘えてください』と言いたいです。」と言いました。私の心はこの言葉に強く打たれました。不安に満ちあふれ、無力感に襲われ、すべてを失った被災者に「がんばって」という時ではないと思います。
「甘え」とか「甘える」という言葉は日本の独特な概念であり、なかなか他の言葉に訳せませんが、その思いは聖書のどこにしるされているかを考えた時にイエスの言葉が浮かびました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」イエスのもとに行き、その愛の腕に抱きしめられ、そこで静かに泣く。それでいいです。今がんばらなくてもいい。
多くの被災者が何かの形でその愛を知り、慰めと生きる力を得られることを祈ります。

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